『重陽節』古都開封
今日は『重陽節』、菊の節句です。
中国では五節供のひとつとして祝日になります。
去年のこの日、私は中国河南省の省都鄭州に滞在していたので、
東に72キロ、車で約1時間ほどの開封まで日帰り観光に出かけました。
黄河流域のまち開封は、今でこそ小さな地方都市ですが、
北京、南京、西安、洛陽、と並ぶ中国五大古都のひとつで、
春秋代より2700年の歴史があり、その間七つの王朝の都になったところです。
日本でもっとも知られているのは、北宋時代(960~1127年)の都であったときで、
当時は東京開封府と呼ばれ、世界でも有数の華やかな都だったそうです。
その繁栄ぶりは、北京の故宮博物館に保管されている
国宝「清明上河図」に見ることができます。
「清明上河図」そのままに宋代の街並みを再現して作られたテーマパークもある。
開封のシンボル「鉄塔」。実際は鉄ではなく磚でできている。黄河の氾濫をいくどとなく生き延びた、正真正銘の北宋代建造物である。
その開封では、『重陽節』に菊祭りが催されるのです。
この日のために、市民が1年かけて丹精した菊百万鉢が、町を飾ります。
まち中が菊だらけで、それはもう圧巻です。
中国では三千年の昔から菊を栽培し、鑑賞する文化があります。
七王朝の都であった開封では盛んに見事な菊が栽培され、
宮廷人や文化人たちがこぞって鑑賞し、詩を詠んだと伝えられています。
風流ですねえ。
以来、開封は歴史の表舞台から消えうせたのちも菊の栽培を続け、
現在も中国きっての名産地として有名なのです。
ちなみに、開封のライバルといえる都市が、同じ河南省の、
九つの王朝の古都であり、牡丹の名勝地として名高い洛陽です。
開封の中心部、市場のそばにある「相国寺」。北斉代の建立、千五百年の歴史のある名刹で、唐代、弘法大師空海が一時期学んだゆかりの寺でもある。現在の建物は清代のもの。
お天気は天高く秋晴れというにはイマイチだったのですが、
満開の菊と、休日を楽しむ市民、観光客で賑わっていました。
のどかで幸福な中国の風景。
その風景の中に、古都ならではの歴史の片鱗がキラキラと見えてきます。
「龍亭公園」龍亭から見た開封市街。
下から見上げた龍亭。
自転車タクシー(輪タク)、庶民の足として今も健在。
外国人観光客の勝手ないいぐさですが、中国観光は地方が良いとつくづく思います。
古い街並みを潰して、その上に建った高層ビルやアカ抜けたファッションの人々、
そんなものをいくら観ても中国の面白さはわかりません。
オリンピックのための緑化運動と称して、芝生に塗料を吹きつける北京の人々よ、
地方の人々を見習って、花を育てなさい。ゆったりした心の広さや、親切さを思い出しなさい。
余計なお世話ですが、そう言いたい。
ところで、この開封、史跡や菊の他にもまだ名物があります。
それが「小籠包」。
もちろん私はランチにソレをいただくために、朝早くからやって来て
精力的に観光を済ませたのであります。
アツアツの肉汁したたる小籠包は上海料理として有名ですが、もともとの発祥は開封です。
したがって街中には「正宗」(正統の意)をアタマにつけた小籠包店の名店がたくさんあります。
その中でも、外国のガイドブックにまで載っている有名なレストランに行きましたら、
さすがに祝日とあって、店内は最上階のテーブルまでが満席。
しかし私は待つのがキライ(ましてや空腹時はなおさら)ですから、
すぐさま情報を得て、地元の人たちに評判の良いレストランへと移動してしまいました。
これが大正解。
上海、香港に勝るとも劣らぬ料理にありつけたのであります。
上等の皿や洗練された盛り付け、かしこまった給仕なぞはあっても良いが、なくてもけっこう。
「料理は味で勝負」が、私の価値観です。
小籠包は一種類だけではなく、豚肉や羊肉、海老、野菜などさまざまな種類がある。
残念ながら食せたのはその一部。
『重陽節』には縁起物として鯉料理を食べる習慣があるそうで、もちろん郷に入れば郷に従う。
パリッと上げた黄河の鯉に甘酢あんかけの香ばしいご馳走は、私の好物。
他にもあれやこれや、いろいろと食べ切れないほど注文するのが中国スタイル。
このあとのデザートも含め、お腹ハチキレそうに食べて(地元の啤酒も飲んで)、
上海や香港と比べると感謝カンゲキで涙が出そうなくらいの安さでした。
同じ開封でも、はじめの予定の有名レストランだったら、そうはいかなかったでしょう。
オサレではないが味は一流、地元御用達レストラン。家族連れで大賑わい。
明清代の街並みを再現した観光名所「宋都御街」
あとは腹ごなしにひたすら歩きまわりました。
「行った、見た、食った」
どこへ行っても、私の旅はほぼこういうパターンになってしまいます。
そして、この日のおかげで、私の脳みそとカラダには、『重陽節』イコール『菊』というよりも、
『重陽節』イコール『小籠包』という図式が、しっかりとすり込まれてしまったのでありました。
中国では五節供のひとつとして祝日になります。
去年のこの日、私は中国河南省の省都鄭州に滞在していたので、
東に72キロ、車で約1時間ほどの開封まで日帰り観光に出かけました。
黄河流域のまち開封は、今でこそ小さな地方都市ですが、
北京、南京、西安、洛陽、と並ぶ中国五大古都のひとつで、
春秋代より2700年の歴史があり、その間七つの王朝の都になったところです。
日本でもっとも知られているのは、北宋時代(960~1127年)の都であったときで、
当時は東京開封府と呼ばれ、世界でも有数の華やかな都だったそうです。
その繁栄ぶりは、北京の故宮博物館に保管されている
国宝「清明上河図」に見ることができます。
その開封では、『重陽節』に菊祭りが催されるのです。
この日のために、市民が1年かけて丹精した菊百万鉢が、町を飾ります。
まち中が菊だらけで、それはもう圧巻です。
中国では三千年の昔から菊を栽培し、鑑賞する文化があります。
七王朝の都であった開封では盛んに見事な菊が栽培され、
宮廷人や文化人たちがこぞって鑑賞し、詩を詠んだと伝えられています。
風流ですねえ。
以来、開封は歴史の表舞台から消えうせたのちも菊の栽培を続け、
現在も中国きっての名産地として有名なのです。
ちなみに、開封のライバルといえる都市が、同じ河南省の、
九つの王朝の古都であり、牡丹の名勝地として名高い洛陽です。
お天気は天高く秋晴れというにはイマイチだったのですが、
満開の菊と、休日を楽しむ市民、観光客で賑わっていました。
のどかで幸福な中国の風景。
その風景の中に、古都ならではの歴史の片鱗がキラキラと見えてきます。
外国人観光客の勝手ないいぐさですが、中国観光は地方が良いとつくづく思います。
古い街並みを潰して、その上に建った高層ビルやアカ抜けたファッションの人々、
そんなものをいくら観ても中国の面白さはわかりません。
オリンピックのための緑化運動と称して、芝生に塗料を吹きつける北京の人々よ、
地方の人々を見習って、花を育てなさい。ゆったりした心の広さや、親切さを思い出しなさい。
余計なお世話ですが、そう言いたい。
ところで、この開封、史跡や菊の他にもまだ名物があります。
それが「小籠包」。
もちろん私はランチにソレをいただくために、朝早くからやって来て
精力的に観光を済ませたのであります。
アツアツの肉汁したたる小籠包は上海料理として有名ですが、もともとの発祥は開封です。
したがって街中には「正宗」(正統の意)をアタマにつけた小籠包店の名店がたくさんあります。
その中でも、外国のガイドブックにまで載っている有名なレストランに行きましたら、
さすがに祝日とあって、店内は最上階のテーブルまでが満席。
しかし私は待つのがキライ(ましてや空腹時はなおさら)ですから、
すぐさま情報を得て、地元の人たちに評判の良いレストランへと移動してしまいました。
これが大正解。
上海、香港に勝るとも劣らぬ料理にありつけたのであります。
上等の皿や洗練された盛り付け、かしこまった給仕なぞはあっても良いが、なくてもけっこう。
「料理は味で勝負」が、私の価値観です。
残念ながら食せたのはその一部。
パリッと上げた黄河の鯉に甘酢あんかけの香ばしいご馳走は、私の好物。
他にもあれやこれや、いろいろと食べ切れないほど注文するのが中国スタイル。
上海や香港と比べると感謝カンゲキで涙が出そうなくらいの安さでした。
同じ開封でも、はじめの予定の有名レストランだったら、そうはいかなかったでしょう。
あとは腹ごなしにひたすら歩きまわりました。
「行った、見た、食った」
どこへ行っても、私の旅はほぼこういうパターンになってしまいます。
そして、この日のおかげで、私の脳みそとカラダには、『重陽節』イコール『菊』というよりも、
『重陽節』イコール『小籠包』という図式が、しっかりとすり込まれてしまったのでありました。
by Tamarind-Cafe | 2005-10-11 05:30 | 旅のハナシ