大仏とお茶とかりんとう

唐突ですが、『兵庫の大仏』さんです。
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神戸っ子でも「そんなん知らんわ」という人が多いので、ご紹介します。
けっこうおっきいです。座高8.5m。
もちろん奈良や鎌倉と比べると小さいし、それにめっちゃ若い。
明治24年生まれです。1891年、大津事件のあった年ですね。
お雇い外国人がどんどん神戸にやって来ていた頃です。
『兵庫の大仏』は彼ら、外国人にも人気だったそうですよ。

大仏があるのは、兵庫区という、県名にもなっていることでお分かりのように、
かつての神戸の中心地だった地区にある『能福寺』という寺です。
この寺の開基は延暦24年(805年)。
この兵庫の地に荘園を持ち、治承4年(1180年)に遷都までした平清盛の
ゆかりの寺でもあることから、平(清盛)相國廟があります。
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寺の一角には、寺の縁起を英文で記した碑があります。
大仏さんをお参りに来る外国人のために作られたもので、日本最初の英文碑だそうです。
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英文を書いたのは、ジョゼフ・ヒコ(濱田彦蔵)。これまた有名人です。
播磨出身の漁師で、嘉永1年(1848年)13歳のとき、遠州灘で遭難し、
アメリカ商船オークランド号に助けられて渡米、
リンカーン大統領と握手した唯一の日本人です。
帰国後、有名な黒船ペルリ提督の通訳を勤めたことや、
日本で初めて新聞を作ったことでも知られています。

ハナシ戻して『兵庫の大仏』ですが、実をいえば前述より歳はもっと若い。
顔をよく見てください。つやつやでしょ?。
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それもそのはず、この大仏さんは平成3年に再建された二代目なんです。

初代は昭和19年、たすきをかけられて、お国のために供出されたそうです。
太平洋戦争の金属回収令。庶民から小さな指輪にいたるまでかき集めたあげく、
大仏まで溶かして鉄砲の弾とは、なんと情ないことよ~と思いますが、
それが無かったとしても、翌20年の神戸大空襲で焼失していたかもしれません。
神戸はこの空襲で壊滅的な打撃を受けました。
もっとも被害の大きかったのが、この界隈です。
幸い二代目は、阪神淡路大震災では無事だったようです。

私は子供のころ、大人たちが「神戸は新しい町や、そやから歴史なんかないんや」と
言うのを聞き、それを単純に鵜呑みにしていましたが、
中学生になってから図書室の郷土史の本を読みましたら、
兵庫神戸は政治の表舞台になったことはないとしても、
古代から近代に至るまで、面白い歴史のある土地だということがわかりました。
ただ、木の文化の哀しさで、残念ながら史跡は少ない。
そこへもって神戸大空襲、その半世紀後に阪神淡路大震災ですから、
なにか残っているというのが不思議なくらいです。

最近、私は再び郷土史に興味を持ち始め、
ちょこちょこと、その残り少ない史跡を訪ねたりしています。

10年前の阪神淡路大震災がなかったら、
私はたぶん、いずれは帰ってくるとしても、神戸を出ていただろうと思います。
旅好きなことから、海外でじっくり腰をすえて異文化を体験したいとも思っていました。
でも生まれ育った地が焼け野原になり、その中で灰になってしまった我が家を見ては、
ふるさとを離れる気には、とうていなれませんでした。
まあ私がいたからといって、なにかの役に立ったわけじゃないのですけどね。

あれから10年経ち、諸問題は数あれど、とりあえず町は再建され、
人々の生活もまあなんとか落ち着いて、私もようやく気持ちの整理がついてきたようです。
ぼちぼち再開しつつある史跡散歩などは、その表れだと思います。

先日その史跡散歩で、この能福寺に立ち寄ったとき、
たまたま創建1200年の祝賀のお茶会をやっていました。
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ゆきずりに過ぎない私も、ちゃっかり薄茶と菓子をいただきました。
ここに限らず、秋はお寺さんでのお茶会が多いですね。
思えば、お茶は仏教と共に伝来したものですから、それも当然のことでしょう。


この記事を記しつつ、久々に自分でも薄茶を立ててみました。
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茶菓子は、播州姫路『常盤堂』のかりんとうです。
地元の贔屓目じゃなくても、かりんとうはここに限りますよ(^^)v。
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by Tamarind-Cafe | 2005-11-25 04:38 | 神戸&関西街歩き  

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